
先日、映画「西の魔女が死んだ」の舞台となった、
清里にある“おばあちゃんの家”へ行ってきた。
大好きな作家・梨木香歩さんのロングセラー作品。
ファンタジー=メルヘンチックな世界、
という誤解のもとで生産された文学作品が多いなか、
梨木さんは、愛する人の死を描きながら、
「私たちの日常、そして人生そのものがファンタジーであり物語なのだ。」
ということに気づかせてくれた。

のちのち私が、河合隼雄という人の存在を知り、
その著作本を読みあさるきっかけとなったのは、
梨木さんの影響が大きいと思う。
そして、河合隼雄先生が大往生の末に亡くなられた後、
梨木香歩さんを、世に送り出しのが、
実は、河合隼雄先生だったことを知った。

私にとっては、衝撃の事実だった。
梨木さんは、そもそも処女作であった
「西の魔女が死んだ」を世間に出す気持ちは無く、
ただ、河合隼雄先生にだけ読んでもらいたい、
そして感想を聞きたいと思って送ったそうだ。

それが、河合隼雄先生の心を揺さぶり、
さらに、親しい児童文学作家の目にとまり、
最終的に、河合先生が、出版社に郵送したことで、
私たちもまた、この作品と出会うこととなったのだ。

実は、私はまだ映画を観てない。
原作のあの世界観を映像にされてしまうのは、
大切な人が自由を奪われていくのを目の当たりにする、
そんな不安感があり、どうしても足が向かないでいた。

じゃあ、何で清里まで足を伸ばしたかというと、
夫めめも君がしきりに「清里にあるみたいだよ。」と、
何かにつけて言うものだから、だんだん私も、
「まぁ、せっかく近くまで行くんだし。」
という気持ちになってきたというわけ。
現地に近づくにつれて、やっぱり不安が大きくなり、
「あぁ、もう引き返したい!」という心の葛藤を
何とか誤摩化しながら、とうとう現地に着くと、、

これはこれで、とても丁寧に、大事に作られたんだな、
ということが、ひしひしと伝わってきた。
それぞれが心に留めている原作の世界観は解放したまま、
注意深く「映画」という表現に集中していることがわかった。

ここは、中には入れないようになっている。
何でも、人を中に入れるためには「博物館」として
建築強度をはじめとする諸々の条件に合うように、
改修をしなくてはいけなくなるらしい。

そうなってくると、本来の“おばあちゃんの家”の雰囲気は、
完全に壊れてしまうことになるので、
今のところは、外から中をのぞくカタチで一般開放されている。
私は、是非、2階の“まいの部屋”も見てみたかったけど、
見れなくて良かったのかもしれない。
大事に作られている全体とその周辺、
そして1階の様子からしても、2階の雰囲気を想像するのに
十分イメージをかき立てられるから。

主演のサチ・パーカーさんは、作品のおばあちゃんというよりも、
梨木さんが師事されているイギリスの児童文学作家の方の
イメージに近いように感じられた。
自然と自分の中で暮らしを営むことのできる繊細さと
たくましさを兼ね備えた女性のイメージにピッタリだと思った。

映画を観るかどうか、まだわからないけれど、
ここは足を運んで良かったと思える場所だった。
女性一人で来ている人も、ちらほら見られて、
「そうそう一人で来たくなるよね。」って思ったし、
ひとりひとりの魂を揺さぶる作品の良さを、
大事に守って作られているところだと思う。
平日に行ったんだけど、
それなりに人が次々と来ていたのが印象的だった。
だけど、観光地の清里は、清泉寮以外は、
実に閑散としていて、
さながら「千と千尋の神隠し」の冒頭に出て来る、
妙な静寂を放つ街のように、
奇妙な雰囲気が漂っていて、怖かった^^;
だって、インターネットで調べて、
立派なホテルの系列レストランに行ってみたら、
定休日では無いはずなのに、誰もいないの。
だけど、ランチメニューの看板は出ていて、
「スタッフに声をかけてください。」とあるので、
あちこち、探しまわったんだけど、
どこも扉は開けっ放し、そして人がいる気配が無い。
何だか「体験工房」みたいなハウスの入口で、
顔色の悪いおじさんが座っていて、
じーっとこちらを見ている。
その横には、ポニーが何頭かつながれてるんだけど、
水も草も無くて、みんな何だか辛そうだし。。。
あきらめて(怖くなって^^;)、
清泉寮に向かうと、だんだんと人間が増えて来て(笑)、
ホーッとしてしまった、本気で。
めめも君が、
「よかったね。危うく豚にされるところだったよね。」
などと、能天気なことを言うので、
「突っ込みどころは、そこかっ!!!」
どこに行ってもペースの変わらない夫に、
ある意味、救われつつ、
清泉寮でまったり過ごしましたとさ。