終了。


by sakurakura787
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台湾からの便り。

昨日、今日と1日違いで、台湾から嬉しい便りが届きました。私が台湾留学中に、日本語の家庭教師として教えていた生徒さんとそのお母さんからです。毎年、この時期になると必ずいただくカード。

J君は、日系台湾人のお父さんと台湾人のお母さんを両親にもつ男の子です。私と会った約4年前は、日本人学校付属の幼稚園を卒業し、小学部に入学するための就学時検診を終えた頃でした。

私はというと、日本語教師として社会人クラスを1つ受け持ったばかりの新米も新米、なんちゃって先生でした。授業の前には心臓がドキドキしてたまらなくなり、いつも日常のそんな時に自然にやるようになった自分のおまじない(胸の前で十字を切り、最後に胸の中央をトントンと2回叩く)をやって、すーっと息を吸い込んで、パッと教室のドアを開ける、ということをしていました。

J君の授業は、J君のお家で、彼のお部屋で行われていました。長らく担当されていた台湾人の先生が妊娠のため継続できなかったこと、お母さんからネイティブの日本人の先生にお願いしたい、という希望があったため、私に白羽の矢があたりました。

最初のJ君との出会いは衝撃でしたよ。
私は別に子どもを甘くみていたわけではないのですが、やっぱり最終的に「大人のおごり」をもっていたなって思わされました。当時のJ君は、日本語は単語と単語をつなぎ合わせる形で話す状態で、助詞などを使って文節にすることが困難でした。そのため、就学時検診の面接で思うように話ができず、まだ5歳、6歳ながらに、すっかり自信を失くし、またプライドを傷つけられたかっこうとなってしまったんです。

そのため、その就学時検診で面接をしたスーツ姿のいかつい「日本人」と、どうにもこ汚いけどやっぱり「日本人」である私は、彼の中では1つだったので、私に対してもなかなか日本語を話してくれませんでした。これは初対面だから、という理由は一桁%で、ほとんどは「間違うことが恥ずかしい」「うまく話せないことが恥ずかしい」ことからくるものだったと思います。

「教えること」が怖い、不慣れ、十分に勉強していない、そうゆう未熟な私は、自分の未熟さを隠すために、50音カードなどありきたりの語学力測定教材を持っていき、マニュアル通りに、それらを見せて、「はい、これは何ていうのかな?」なんてやったのです。当然、J君はにこにこするけど、全く話してくれませんでした。話してくれない、というのは、口を開かないということです。ただの一度も。

その日は、帰宅後、わんわん泣きました。自分がふがいない、何て未熟なんだろうって思ったんです。私は就学時検診の時の、あの状態を、彼にまたしてしまったんです。教師面して、自分の素人ぶりを隠そうとするあまり、柔軟に対応できなかった。いろいろ、たくさん、自分の愚かさを感じてどうしようもなく、彼に申し訳なく、また、自分が情けなく、おお泣きしました。そして、全くのド素人の私には無理だ、もっとベテランの先生にお願いしたい、と、紹介してくれためめも君にお願いしました。

翌日、めめも君がJ君の家にいくことになりました。現状のJ君の様子と語学力を把握するためです。めめも君は、行く前に、J君宅に電話を入れました。到着すると、お母さんがすぐに言ったそうです。「さっきの電話、J君、先生からだと思って、自分が出る!って走っていったんですよ。でも違ったし、今日は来られないということで、がっかりしてました。。」と。

私はすっかり嫌われたと思ってたんです。
でもJ君は、待っていてくれたのです。どうやら、私が思い余って絵を描いたりして遊んだのが、思いのほか楽しかったようです。ほかにも理由があるかもしれません。それは次に会う時にぜひ本人に聞いてみたいと思います。

その後は、まず、J君に「間違ってもいいんだ」「間違ったって話したい!」って思ってもらえるような雰囲気つくりと、関係つくり、それに教材らしくない教材の制作をしていきました。まさに毎回、毎回、絵を描き、教材をつくり、教案を立てて、勝負に行くって感じでした。

いつしか、J君は間違ったって話してくれるようになったなぁ。私が意識して繰り返してきた言葉なんかを、言ってくれた時の嬉しさといったらなかったなぁ。本人の前では喜べないので、うちに帰ってめめも君に報告していました。

お母さんからは「先生は、すごく忍耐強い!」と言われたことがあります。これは自分の知らない、わからないところだったから驚きましたが、そうゆう面が出ていたかもしれません。とにかく必死だったことは確か。「教えること」は、苦しくて苦しくて、いつも自分自身を鏡に映して観察しているような恐怖があります。でも、「どうしたらわかってもらえるだろう。」「この人にはどう伝えるのが一番いいだろう」などと、まさに、その人のことを思って考え、つくったり、やってみたりする、人のための作業でした。もうその時は、その人のことだけを考えて没頭するのだけれども、気づいたら、何と、たくさんのものを得ていることか、という感じ。まさにそういった過程を通して、自分が教えられているのだなと思いました。

私は日本語を教えたい。J君のように、国家間で言葉の問題で戸惑う子どもたちの力になりたい。それには、海外で働くにしろ、国内にしろ、大学は卒業しなきゃ査証の問題をクリアできない。勉強するなら、こうした子どもたちが学校で何をどう学んでいくのかを知りたい。だから教員免許も取っておこう。大学を卒業したら、きっと日本語教師の勉強をしよう!

・・・とまあ、これが私が通教大に入る前の目標で、今でも変わっていないことを最近自覚しています。そんな時に、今回のお便りです。

お母さんは、勉強家。日本語を流暢に話されます。今は、今度は学習者から先生になって、日本語を教えていらっしゃるそうです。お母さんにも日本語を教えていた私。J君が私と遊びたくて、途中途中、ちょっかいを出して来るので授業をするのが大変だったなぁ。

J君は、「ぼくは今はもう日本語ぺらぺらで言えるようになりました。」そうです(^^)1年生だった彼は、多分今はもう5年生。カードの始まりに、「○○先生(私の名字)」とありました。彼は果たして、私のことをどれくらい覚えているかな。それにしても、去年もらったカードに比べて、ものすごい日本語の進歩に驚きました!見事な文章力!これはまさに彼の努力、ご両親の努力といえるでしょう。もう、それはそれは、感動でした。

J君との出会いは私の人生を大きく変えたし、また楽しく幸せにしてくれました。J君に先生と呼ばれると、何か、大切なことを、絶対に忘れないでよ、と言われているみたいに感じます。

うん、忘れないよ。私は忘れないで生きていくことになりそうだよ。母語でも、外国語でも、語学に触れる時の気持ちは、どんなものにも変えられなかった。初志貫徹はまだ続いていたのだよね。忘れるところだったよ。私は言葉が好きなんだな。やっぱり、私の背中を押してくれたのは、J君とママさんだったよ。どうもありがとう!
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by sakurakura787 | 2004-12-27 14:52 | ひびあれこれ。