うまれる時間。
2006年 08月 20日
7月初旬から今日まで読んだYA本の数。
34冊。
そして今も、枕元には8冊の本が積まれてる。
そばに本があるって、とーっても幸せ!
私にとっては、本の数だけどこか知らない国に
旅行するチケットを持っている感じがするし、
その日読む予定の本と一緒に出かけるのは、
心の許せる親友を伴っている感じがして楽しい。
一日のほとんどを集団生活の中で過ごす時期、
大人になってからのように自分だけで外出する、
という気分転換などなかなかできない年代の頃、
本は私にとってとても重要なパートナーだった。
どういうことかというと、周りがそおっとしておいてくれる、
そうゆうことが許されるのが、読書をしている時だったから。
“周りにそおっとしておいて欲しい”
そうゆうことが必要だったのは、
私がもともと一人で絵を描いたり、何か書いたり、
読書したり、という一人遊びが好きだったこともある。
子どもの頃、
親の仕事の都合で日本の北から南へ、
南から東へ、東の中でも1度、
引越しをして、転校したこともあってか、
その集団のなかでどうしてよいかわからなくて、
いろいろ子どもの心としては、うまくいかない、
どうしようかなぁと思うこともあったようで、
しばしよく本を読みふけっていた記憶がある。
なぜ本だったか、というと、
絵を描いたり、何か文章を書いたりしていると、
だいたいは「何しているの?」と声をかけられて、
しまいには盛り上がってしまったりすることもあって(笑)
それはそれで、それがきっかけとなって楽しいこともあるけど、
本を読むほうが、集団のなかでは、比較的かんたんに、
ほおっておいてもらえる、干渉されずに済むようだった。
あの頃、私にとっての本というのは、
同じ日本国内といえども、かなり文化の違う集団の中で、
“適応していくこと”と、“自分であること”の引っ張り合いに
少しばかり勇気とか猶予とか、時間とか、
を生んでくれる大切な存在だった。
そして今。
もくもくと本を読んでいる大人になった私。
どこか似たような意味がありそう、
と思っている。
本を読みながら、
今、心にふつ、ふつ、と生まれるひとつひとつの気持ち、
そうゆうもののルーツみたいなもの、
をこちらにたぐりよせながら、
いろいろなお話の世界を旅している。
そして、1冊、1冊、と読みながら、
色々な世界で、色々な思いが生まれる、
そうゆうことを繰り返してゆくうちに、
あー私は私のままだ。
あんまり変わってないなーと、
つくづく思わされることも繰り返される。
自分が感じること、思うこと、
そうゆうもののルーツ。
変わってない私。
変わらない私。
でも、それでもいいかも。
ずっと自分が嫌だった。
自分以外の他の人になりたい、
とずっと思ってきた。
どうして私はこうなんだろう、
どうしてできないんだろう、
そうゆうことばかり考えてきた。
でも変われなかった自分のその部分は、
実はとてもとても自分に必要なところで、
それがあるからこそ、私なんだ、
ということに今は少しほっとしている。
本を枕木にして、
私はどこに向かってゆくだろう。
今はちょっと楽しみ。
34冊。
そして今も、枕元には8冊の本が積まれてる。
そばに本があるって、とーっても幸せ!
私にとっては、本の数だけどこか知らない国に
旅行するチケットを持っている感じがするし、
その日読む予定の本と一緒に出かけるのは、
心の許せる親友を伴っている感じがして楽しい。
一日のほとんどを集団生活の中で過ごす時期、
大人になってからのように自分だけで外出する、
という気分転換などなかなかできない年代の頃、
本は私にとってとても重要なパートナーだった。
どういうことかというと、周りがそおっとしておいてくれる、
そうゆうことが許されるのが、読書をしている時だったから。
“周りにそおっとしておいて欲しい”
そうゆうことが必要だったのは、
私がもともと一人で絵を描いたり、何か書いたり、
読書したり、という一人遊びが好きだったこともある。
子どもの頃、
親の仕事の都合で日本の北から南へ、
南から東へ、東の中でも1度、
引越しをして、転校したこともあってか、
その集団のなかでどうしてよいかわからなくて、
いろいろ子どもの心としては、うまくいかない、
どうしようかなぁと思うこともあったようで、
しばしよく本を読みふけっていた記憶がある。
なぜ本だったか、というと、
絵を描いたり、何か文章を書いたりしていると、
だいたいは「何しているの?」と声をかけられて、
しまいには盛り上がってしまったりすることもあって(笑)
それはそれで、それがきっかけとなって楽しいこともあるけど、
本を読むほうが、集団のなかでは、比較的かんたんに、
ほおっておいてもらえる、干渉されずに済むようだった。
あの頃、私にとっての本というのは、
同じ日本国内といえども、かなり文化の違う集団の中で、
“適応していくこと”と、“自分であること”の引っ張り合いに
少しばかり勇気とか猶予とか、時間とか、
を生んでくれる大切な存在だった。
そして今。
もくもくと本を読んでいる大人になった私。
どこか似たような意味がありそう、
と思っている。
本を読みながら、
今、心にふつ、ふつ、と生まれるひとつひとつの気持ち、
そうゆうもののルーツみたいなもの、
をこちらにたぐりよせながら、
いろいろなお話の世界を旅している。
そして、1冊、1冊、と読みながら、
色々な世界で、色々な思いが生まれる、
そうゆうことを繰り返してゆくうちに、
あー私は私のままだ。
あんまり変わってないなーと、
つくづく思わされることも繰り返される。
自分が感じること、思うこと、
そうゆうもののルーツ。
変わってない私。
変わらない私。
でも、それでもいいかも。
ずっと自分が嫌だった。
自分以外の他の人になりたい、
とずっと思ってきた。
どうして私はこうなんだろう、
どうしてできないんだろう、
そうゆうことばかり考えてきた。
でも変われなかった自分のその部分は、
実はとてもとても自分に必要なところで、
それがあるからこそ、私なんだ、
ということに今は少しほっとしている。
本を枕木にして、
私はどこに向かってゆくだろう。
今はちょっと楽しみ。
by sakurakura787
| 2006-08-20 04:05
| かんがえごと。