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終了。


by sakurakura787
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ながいうちの、今。

ここ数年、むやみやたらに焦りまくって、
結局、全て失敗、とか、全ておじゃん、とかで、
はい、はじめに戻る、ってことの繰り返しだった。

少なくとも、そう感じてる。

でも、なんとなーく最近になって、
そうゆう、繰り返しに対して、
ちょっと別の考え方もできるようになってきた。

人生は、短い。
今、自分が思っている“やりたいこと”を
確実に、全部、やりきるためには、

家族や仕事、そこから派生する
様々なことと並行して、

腰の重い自分を何とか立たせ、
ひとつひとつを、よどみなく進ませて、
集中する時は集中して、
緩める時は緩めて、

体力を蓄えながら、うまく消費させて、
日々、何かしらの刺激で起こり得る
気持ちの抑揚とかにも、
まぁまぁ、ほらほら、と適度に逃がし、
つかむところはつかんで、

そうやっていかないと、
とても、とても、足りない。
タイムオーバー必死だっ!

でも、人生を長く感じる時もある。
ちょうど、今がそうゆう時だ。

人生には、短いと感じる時と
長いと感じる時、

どこかでスイッチが、パチッ!と
切り替わって、しばらくの間は、
短いモードとか、長いモードとかで、
時間が進行していくことがあるように思う。

私は、この長いモードの時の過ごし方が
さっぱりわからなくて、とても苦労した。

もう、自分はダメなんじゃないかとさえ思った。

でも、長い人生の、このひと時を、
こうして、過ごしている自分、
そして、日常の様々なこととの触れ合いには、

確かに、短いモードの時にはわからなかった、
様々な発見がある、と感じるようになった。

例えば、父と一緒にいる時は、
テレビを見ながら、あーだこーだと
お互いに話をするんだけど、

最近になって、父はかなり私を立てて
気を遣っているところがあるのだ、
ということに気づいた。

何というか、娘がこんなこと話してるぞと、
ちょっと仕方ないなぁ、っていうか、
やれやれ、という気持ちもありつつ、
うんうん、と一歩引いて聞いてくれているのだ。

その昔は、かなり飲んだくれの父で、
その相手をするのに苦労した分、
今は対等に話せるのだ、
と思っていたらどっこい、

やっぱり、親は親、父は父なのだ。

こんな当たり前のことに、
ずっと気づかずに講釈をたれていた自分が
恥ずかしくて仕方が無かった。

はたまた、昨年、母と、私たち夫婦で
一緒に行った台湾旅行では、

誰のスーツケースにどの土産を入れるか、
について、私が夫に、あーだこーだと
いちゃもん(日常的風景^^;)つけてるのを見て、

母が本気で、あたふたしていて、
ちょっと驚いた(笑)

「お姉ちゃん、こうしたら?ああしたら?」と、
あいまで、恐る恐る、中和剤となるべく、
話しかけてくれて、

今思えば、可哀相なことをしてしまったと
反省してしまう。

でも、なんとゆうか、そうゆう、
わがまま放題言ってる自分を見られるのは、
ずいぶんと久しぶりなことで、
そうゆう現場に母がいたことや、
そのリアクションも、かなり新鮮に感じられた。

こうゆう時間をもてたのも、
そして、このように感じられたのも、
“今”が長いモードになっているからこそ、
だと思う。

まさに、自分とか、自分の人生とか、
そうゆうものを、じっくりと味わっている、
味わわされている、ってゆう感じがする。

こんなことは34年間で、はじめてのことで、
私はそのほとんどを、短いモードで生きてきた。
本当は、人生的に長いモードの時でも、
無理やり、短いモードに切り換えて生きてきた。

だって、そうゆう生き方しか知らなかったし、
そうしなければ、多分、自分が崩れて、
あっという間に、粉になって吹き飛ばされそうだったから。

でも、今は、そうじゃない。
自分はそう簡単には崩れないし、
吹き飛ばない、ってわかってきた。

そう簡単に崩れない自分というものに
励まされたり、苦しまされたりしながら、

短いモードや長いモードで生きていくのかな、
と思っている。

長い長いうちの、ほんの“今”と思うと、
そこに起こってくる色々なことが、
これからどんなふうに自分の人生に
織り込まれていくのか、

ちょっと楽しみだな、と思えるようになった。
by sakurakura787 | 2008-01-16 05:11 | ひびあれこれ。